一段と寒い冬のある日、少女は小高いビルの屋上に佇んでいた。
彼女は夜にまぎれたら見えなくなりそうに闇色を吸い込んだセーラー服に身を包んでいたが、
その月明かりのように白い肌と血潮のように鮮やかな赤のスカーフがくっきりと
網膜に焼き付くように強い印象を与えていたのだった。
 けれど彼女は人々の目に留まる事はない。
彼女は現世(うつしよ)のものではない、虚ろのものなのである。


 彼女が生きていたころの名は「奈月」という。




 いつものように「境界線」を広げていくと人々の雑念の中から、
地面を激しくこするような音と重い物がぶつかる、嫌な音が聞こえた。
境界線の中へものすごい勢いで負の感情が入り込んでくるのがわかった。
ざわめく声。
嫌悪感。
呆然。唖然。
怖い物見たさ。
絶望。
不安。
心配。
悲鳴。
叫び声。
ささやき。
流れる赤。

そしてはっきりとした「死」が流れ込んできた。





「おーおー。きれいな色だなあ」
 髪をひとつに縛り目つきの悪い少女がひざを抱えながら、
横たわって血を流す少女を眺めていた。
「血ってこんなに出るもんなんだなぁ。おもしろいなぁ」
 少女の頭部から流れ出る血液を間近で興味深そうに見る少女を誰一人として咎めていない。


「なんだ、やっぱりもう死んでいたのね」

 少女は背後に忍び寄る存在に気が付いた。
「………何あんた」
「さぁ。知らない」
 真っ黒なセーラー服と赤いスカーフが目に飛び込んで、
その異様な風貌に何故だかひるんでしまった。
いや、少し違うかもしれない。
彼女の姿がそれほど異様というわけではないのだが、
彼女の持つ雰囲気は恐ろしく冷たい。それに思わず畏縮してしまったのだ。
「ずいぶん冷静なのね。あなた、死んでしまっているのに」
「だってベタすぎない?交通事故であっけなく、なんてさ」
 横たわる少女は、ひざを抱える少女と全く同じ顔をしている。
つまり、少女もまた奈月と同じく「虚ろのもの」なのだ。


「ベタ?」
「そう。ありふれすぎて、つまらない。
 どこの漫画なのよ」

「何が言いたいのかわからない。
 もう少し動揺してもいいと思うんだけど」
「大丈夫大丈夫。だってあたしこういうグロいのって見慣れてるんだー。
 死体の写真とかってネットで流れてたりするんだよ。知らない?
 首切ってぶしゅって血が出る動画とかもぜんぜん見たって平気だしね」

 平然と少女は言ってのけた。
「けれどあなたはもう死んでしまったのよ。
 死ぬはずじゃなかったのに、いきなり命を絶たれてしまったのよ」
「別に。あたし生きてたいなんて思ってなかったし。
 いつ死んだって別に構わないもん」



「それにしたって珍しい」
「何が?」
「普通は死んだ人間の魂は消えて無くなってしまうんだて聞いていたから」
 少なくともあの、やけに明るい女はそう言っていたはずだ。
「ふーん」
 それでも少女は無関心に自分の死体を眺めていた。
「あ、でもあんたも消えてないじゃない」
「………私は、特別だから」
「?」
「生まれ変わるために、魂を集めているの」
 偶然転生の資格を得た奈月。
49人の生を奪えばまたこの現世に存在することが許されるのだという。
けれど、その仕組みについて説明すると、少女は耐え切れなくなったように笑い転げた。
「何それ!あはははは、死んだ人の魂を集める死神??
 すんごいありがちな設定ー」
 死んだ人間のではなく、生きた人間の魂でなくてはならないのだが、
その訂正を受け入れてくれるほどの状況ではないようだ。
「一体何を勘違いしているの?」
「はあ?」
「ありがちだとか、ベタだとか。
 どんなに非現実的に見えても、これは実際に起こっている事なのよ」
「何言ってんの?」
「私が魂を集めているのも、あなたが死んでしまったのも、全部事実」
 彼女はうつむくようかのように足元に広がる惨状を再び凝視した。
「ちゃんと受け入れたほうがいい。あなたはもう死んだの」
 サイレンの音が聞こえてきた。
救急車だろうか。パトカーだろうか。そんなことは少女にとってはどうでも良いことだった。
「あたしが、死んだんだ」
 自分が死んでいる事は自覚していたはずなのに、
どうして今頃になってこんな悲しくなってきたんだろう。
少女は、もうどうしようもない現実にようやく向き合うことが出来た。


 けれど、時は残酷なほどにすばやく通り過ぎていく。
少女に残された時間はもうほとんどない。
虚ろのものは消えゆくが定め。
この世に生の無いものはいずれ消えなくてはならないのだから……。


「死って、わかんなかったな」
 彼女の体が運ばれるのを見送りながら、少女は奈月に言う。
「身近な人が死ぬとかそう言うの無かったし、漠然としててわかんない」
「普通はそういうものなんだと思う」
「けど、記号としてしか見ていなかった」
 血。肉。骨。
 ああ、あの時見た写真に写っていた死体の人はどうして死んだんだろう。
 首を切られたあの人も、こんな風に無念に思っていたんだろうか。

「ねぇ」
「うん?」
「わたしの魂は、あなたのその、「リセット」には使えないの?」
 サイレンは遠くへ霞み、人々のざわめきがまだ残ってこそいるが、
はじめにあったあの負の波はずいぶんと治まっていた。
「死んだ人間の魂は使えないの。
 生きている人間の、本当に死を望んだ人間の魂でないと。」
 「そうなんだ」と言うと、彼女は本当に残念そうな顔をして、
どんどんと遠のいていく自分の肉体の方を見た。

「どうして」

「どうして人生ってやりなおせないんだろうね」
「それは」
「人生って不公平」
 やり直せないのは、それが現実だから。ゲームのように道筋が決められているわけでもなく、
ヒントがあるわけでもない。何もかもが手探りで未定で不定形。だからやり直すことはかなわない。
 それは用意されていた答えだったのだが、それを奈月が言う資格などあるのだろうか、と思った。
やり直しがきかないとは言いつつも、奈月はこうして人の魂を奪いながら人生をやり直そうとしている。
 人生とは不公平なのだ。偶然を味方につけた一握りの人間が幸運の人生を送る。
けれど

「そうね、とても不公平だわ。
 だけど、もしやり直しがきくとわかっていては頑張る事なんてできないと思う。
 そしてその驕りが間違いを引き起こしていくのよ」
「なんとなくわかる。」
 その返答に奈月は微笑みながらううなずいた。
「そうやって世界はバランスを保っているのね」



 人が生まれて、最後にはありきたりな終幕を迎える。
けれどそれまでの人生は、非常に劇的な美しさを持ち輝きを放つ。

 人の一生と言うものはそういうものなのだと思う。
「私、消えちゃうんだ」
「そうよ」
「残念――――ゲームオーバー、か」



彼女の魂は、ゆっくりと形を崩していった。



彼女の消えた空白を埋めるかのように、雪が降り始めた。


「絵に描いたようなエンディング」終。





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絵に描いたよう
→(1) 美しいことのたとえ。
「―な夕日の美しさ」


 (2) ある事柄や状態の典型であることにいう。
「けちを―な人」



二つの意味があるなんて忘れていました