「それで、用事って何かな」

 先輩は本当に困った顔をしながら後頭部をかいた。彼女の癖だ。
 その端麗な容姿とは裏腹に男っぽい仕草で、「かわいい」とかよりも「綺麗」「格好いい」と言う方が良く似合う。
「ほら、そろそろミーティング始まるじゃん。早く行かないとマズいよ。」

 彼女は吹奏楽部の部長で、部内の様々な物事をストレートにスマートにさばいていく。同年代の女の子達にはない、すっきりと落ち着いているところが大人の女性と言った感じで僕の心を掴んだ。
 けれど本当のところは無邪気で面白い物が好きで、とても純朴な女の子だった。
 そういうところがますます好きだ。

 僕にはもうこの人しかいない。そう確信していた。
 何て言ったってパーフェクト。いままでこんなに自分が思い描いていた通りの女性は見た事が無い。
 何としてでも手に入れたい。いや、手に入れてみせる。

「僕、変わりましたよね」
「へ? ……あぁ、うん。確かに雰囲気は変わったね」
「先輩、爽やか系が好きだって聞いたから。それに合わせました」

 以前の僕はお世辞にも爽やかとは言い難い、地味な男だった。本当は爽やか系と言われる格好だけちゃらちゃらした奴はいけ好かなかったけれどそれも彼女を手に入れるためだ。

「山崎まさよしが好きって聞いたから、CD全部買いました」
 購入資金と自分改造の費用を算出するため、好きだったアニメのグッズ(プレミアが付いているものも数点あった)を全部売り払う羽目になったけれど、そんなものはちっとも惜しくない。
「そうなんだ。へぇ」
「そうだ。あと私服もほとんど捨てて全部おとなしいのにしました」
「…………?」
 いまいち反応が悪い。やはり彼女は外見だけにはこだわらないのだろう。外ばかり取り繕ったってしょうがない。男は中身で勝負するべきだ。
「サスペンス劇場も欠かさず見てますよ」
「え、なんで知ってんの?」
「水戸黄門も好きなんですよね?」
「やっぱ時代は格さんよ。助さんより」


「ってそうじゃなくてね」
 彼女もだんだんのりのりになってきた。これならいける。もう一押しだ。
「先輩って料理苦手なんですよね。だから僕頑張って練習しました」
「はぁ」
「特に和食は力を入れました。先輩好きでしょ?」
「いや、好きなんだけどさ、どうして」

 これだけ彼女の好みに合わせたのだ。好きにならないはずがない。
「先輩」

 いざ尋常に勝負

「僕と付き合ってください」




「悪いけど……」

 ぽかんと口を開けてしまった。

 わるいけど? 悪いけどってどういうことだ?
「何で」
「何でってさ」
「何でですか。何で。何で。何で」
 分からない。信じられない。聞き間違いじゃないのか? 何かを忘れていただろうか?
 付き合っている人は居ない。好きな人も居ない。彼女が最近告白されてもいない。彼女が気にかけている人など居ない。
 ならどうして断るんだ?
「髪型ですか?」
「え?」
「やっぱりもう少し長い方が良かったのかな。それとも何だ。趣味? 趣味ですか?」
「何言ってるの?」
「やっぱりスポーツやっている人の方が良いのかな。まずったな。いえ、それなら今からでも」
「ねぇ、何の事?」
「何がいけなかったんだろ。おかしいなぁ。おかしい。なんでだろう」
 一体全体何が足りなかったのだろう。
 見た目も中身も好みも全部変えた。なのにどうして好きにならない? おかしい。絶対におかしい。
「何が足りないんですか? 言ってください。僕先輩の好みに合わせます!」


「そうじゃなくて」
「はい」



「私、そういう人嫌いなの」


 先輩はそれだけ言い残して、颯爽と僕の前から姿を消した。



 そういう、人?



 何故?僕は先輩に好かれるようになったというのに。先輩好みの男になったはずなのに。
 振られた理由が全く見当たらなかった。
 情報が間違っていたとは考えられない。しかし他に考え付く答えも無い。予想も立てられない。




「ふ」

 全く。女心ってのはわからない。




「ただ、足りないのは」終。




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 この作品は短編作品として前に書いてあったものです。
 当初のタイトルは「アイデンティティ」。これで何が足りなかったのかが分かると思います。
 いや、書かなくても伝わっていると思いたいんですが。