憂鬱探偵東四柳紋十郎探偵事務所物語
〜アンニュイタンテイヒガシヨツヤナギモンジュウロウタンテイジムショモノガタリ〜



 金山加奈子(カナヤマカナコ)こと私は二年前から東四柳紋十郎探偵事務所(ヒガシヨツヤナギモンジュウロウタンテイジムショ)に勤めている。勤めていると言っても今まで労働に相応する給料をきっちりもらえたことは数えられるほどしかないのでこれを本当に勤めていると呼べるのかどうかは私自身も自信を持って言うことはなかなか難しい。

 仕事の内容は経理、事務所内の雑務、清掃、依頼人へのお茶出しから果ては東四柳紋十郎探偵事務所所長東四柳紋十郎の世話までという、つまりは探偵業を除く全ての仕事をこなしている。それも従業員は私一人だけ。
 実際こうして自分の仕事内容を文字にして表してみると我ながら泣けてきた。労働基準法って何?

 その激務と言ったら本当に自分は彼の奴隷なのではないかと疑うほどの労働時間と労働内容なわけなのだが、それでもこの探偵事務所を辞めないことは理由があった。

 それについて話す前に東四柳紋十郎という男について語っておく必要がある。

 この事務所の所長、名はもちろん東四柳紋十郎。ヒガシヨツヤナギとは日本で最も長い読みの苗字の一つであるそうだ。悩みはもちろん名前を記入する際ふりがなの欄がぎゅうぎゅうになってしまうこと。
 歳は三十にかかるかかからないか。その面はなかなか整っており、その身長の高さと相まって誰もが認める”反吐が出るほどの美男子”である。
 あぁ、私も認めよう。彼はイケメンという種族に分類される。もはや彼は人間ではなく、新たなる種として誕生したに違いないというくらいのイケメンである。

 だが私の名誉のためにここで高らかに宣言させていただきたい。私は別に彼を想うと胸が張り裂けそうなほどの劣情を抱いているからここに勤めているわけではない。断じてない。ありえない。
 私はこういう正統派なイケメンよりも、多少崩れていも男くさい筋肉ばかの方が好ましい。筋肉ばかは筋肉ばかでも愛すべき筋肉ばかであって本当の筋肉ばかはお断りだ。何を持って愛すべき筋肉ばかであるのかは並々ならぬこだわりがあるのだが、それはまた別のお話で語ることにしよう。

 それに旧人類に宣戦布告しているとしか思えないほど面の良い彼ではあるが、その性格は破綻している。前に「ぼくは百人以上の女と付き合ったぜ!」と自信満々に言っていたが、それはとどのつまり「百人の女に飽きられて振られたぜ!」と言うことを意味しているに過ぎない。私はとりあえず「所長すごぉい!」としなを作っておだてあげ、心の中でつばをはき捨てた。


 話がずれてしまったので本題に戻そう。人間性に多大な問題のある彼だが、私が彼のそばにいるのはその特異体質を目的としている。

 彼は名探偵にふさわしい、ある特殊な要素を生まれた時から持ち合わせているらしい。

 それは人並み外れた観察眼や神懸り的な発想力、思考力、その他もろもろの能力ではない。そんなものは訓練と経験の積み重ね次第でいくらでも伸ばすことが出来る。そんな安っぽいものなんかじゃない。彼はミステリの神様から大いなる祝福を受けたのだ。
 名探偵に最も必要な能力、それ即ち「奇怪な事件を呼び寄せる」ということ。どれだけ素晴らしい推理力を持っていたって奇怪で不可解で難解な事件が起こらなければその力はせいぜいミステリ小説の犯人当てクイズに応募する時くらいしか発揮できない。
 素晴らしい能力を持ちつつもそれを活躍させることなく弄び、持て余し、腐らせる。そうやって名探偵は世の中の波に喰われ消えていっているに違いない。


 しかしこの東四柳紋十郎は違っていた。どういう偶然なのかは分からないが、彼の行く先々では大小を問わず高確率で事件が起こる。
 この街で起こった小さいけれど不思議な事件もあったし、中には本当の殺人事件に巻き込まれたこともあった。
 彼のそばにいれば必ずわくわくするようなことが起こる。時には私の命が危険に曝されたこともあったけれど、私はむしろそんな状況を楽しんでいた。

 私は小さい頃から探偵小説が大好きで、シャーロック・ホームズから名探偵コナンまでむさぼるように読みつくしたし、自分で探偵小説を書いた事だってある(物語の完成度については各々方の推理力によって導き出していただきたい。とりあえず今私がこんなところで働いているという事実は良い判断材料になるだろう。諸君の健闘を祈る。頼むから「岬直弥事件ノートT 月光死者は夜踊る」に関してこれ以上突っ込まないで頂きたい。何がTだ私のばか!)。
 私の夢見がちな性格は中学時代まで続き、いつか大怪盗ブルーローズに攫われた私をニヒルでクールな長身の名探偵(このころの私は筋肉に興味がなかった)が助けに来てくれるのだと本気で考えていたから恐ろしい。

 しかし世の中というやつは小説みたいな事件なんてちっとも起こる気配はなく、大怪盗も名探偵もその名を新聞記事に見つけることはできなかった。血なまぐさくて犯人なんて警察が調べればすぐに分かってしまうような事件が私から遠く離れたところで時たま起きて、さっさと解決されていく。現実なんてそんなものよね、とフィクションと現実をごちゃまぜにするのをやめてから十年近く経った頃、私は彼と出会ってしまった。
 私はこんな特異体質の人間が本当に存在しているのだということに対して涙を流し喜んだ。自分の中でずっと押さえつけていたものが次々に融解し、零れ出た。
 憧れの世界が彼の周りで呼吸をしている。私の待ち望んでいた物語が繰り広げられている。
 何て素晴らしい。
 何て素晴らしいのだろう。

 彼の近くに居ればきっと私も登場人物として物語の最初のページに名前を連ねる事が出来るに違いない。
 登場人物
 ・東四柳紋十郎〜ヒガシヨツヤナギモンジュウロウ〜……世紀の名探偵
 ・金山加奈子〜カナヤマカナコ〜……紋十郎の美人助手

 とか一人で妄想してみて、もう消えてなくなってしまったと思っていた情熱が煮えたぎり、額を割るほどに土下座をして彼の元に置かせてもらえるよう頼み込んだ。もし彼が望むのならばこの体さえ捧げてもいい、そのくらい私の意志は固かった。
 奇遇なことに彼もつい最近事務の娘が逃げ出してしまったので誰かその代わりをやってくれる人を探していたらしい。
 こうして私は彼の奴隷……もとい美人助手として彼の物語に加わることになった。


 そして今日も私は彼の元に不思議な事件を持ち込んだ。どうせいつかは彼の所に飛び込んでくる事件なら、早めに彼のところへ持っていったほうが事件の早期解決に繋がると思ってのことだ。別に早く面白いことにならないかと望んでやってるわけじゃない。

 ビルの階段を上がり、『東四柳紋十郎探偵事務所(ヒガシヨツヤナギモンジュウロウタンテイジムショ)』と書かれたプレートのかかったドアの前に立ち、息を整える。
「所長! 事件です!」
 ドアを開けると東四柳紋十郎はいつも通り、窓に背を向けるようにして置いてある机の上に長い足を乗せ、頭の後ろで手を組み、反り返ってしまいそうなくらい椅子にもたれかかっていた。

「かなかなくん、ぼくはいま昨日の熱い夜の余韻に浸っているところなんだ。邪魔しないでくれないか。略してジャマイカ」
「略しすぎて意味が伝わりません。ってまた女遊びですか? 懲りませんね」
「あぁ、とても激しい夜だった。ここ最近のうちでは一番エキサイティングな夜だったよ。あぁFカップのマリアン……」
「マリアン……? 外人? 一体何をしたんですかあんたは」
「キャバクラで、王の圧政に苦しめられる平民達が政権を奪い、王を処刑するまでの様を模したゲーム。略して王様ゲーム」
 彼はうそだけは言わない。彼がそういうのだから本当にホステス達と王の圧政に苦しめられる平民達が政権を奪い、王を処刑するまでの様を模したゲームをやったに違いない。ゲームの内容がすごく気になるのだが、それを聞いていては少なくとも三十分は説明にかかるだろうし、「じゃあ実際にやってみちゃいなよ」とか言われたら絶対に嫌なので自分の持ってきた事件に話題を変えることにした。
「そんな血なまぐさそうなゲームはさておき事件ですよ!」
「またかよ」
 事件と言う単語を聞くなりうんざり、という声色を垂れ流し、更に体勢を反らした。彼自身、事件を呼ぶ体質についてはかなり辟易しているようだった。私はほとんど第三者的な立場に立っているし、たかだか二年しか事件を見ていないから気楽なのだが、幼い頃から事件に巻き込まれ続けていた彼としては頭痛の種くらいにしか思えないのは当然といえば当然だ。
 贅沢な悩みだ、と思う自分が居るのは否定しない。

「窃盗です。住宅地に飾られているクリスマスの装飾がことごとく盗まれています。変だと思いません? 装飾以外の被害はゼロ。ピンポイントにそれだけが狙われているんです。巷じゃ怪盗Xmas(カイトウクリスマス)なんて呼ばれてるんですって」

 ここだけの話、「怪盗Xmas」というのは私が考えた。名探偵のライバルと言えば古今東西怪盗だと決まってる。そういうライバルが存在すれば彼の心に火が着き、めらめらと燃える探偵魂はきっと推理の役に立つだろう、と思ってのことだ。
 もちろんクリスマスの装飾が盗まれているという事件は実際に起こっている。

「すごく不思議な事件のにおいを感じません? あぁ、怪盗Xmasは一体その装飾を盗んでどうしているんだろう……。ね! 私達の手で怪盗Xmasを捕まえましょう!」
「いや」


 二文字だった。
 その「いや」の後に「怪盗Xmasが出るのはきっと夜だろうからもう少し様子を見よう。そこを二人で捕まえるんだ!」と続くことを待ったが、その口は閉じたままでその続きをつむぎだす気配はおおよそなかった。
「何で!」
「怪盗クイーンだか怪傑ゾロリだか何だか知らないけどさぁ、多分ひねくれ者で独身の暇人が犯人だと思うよー。大方華やかで幸せそうな一家の様子をねたんで嫌がらせしてるんじゃないの?」
「違いますよ! 怪盗Xmasには怪盗Xmasなりの理由があるに決まってます!」
 恵まれない子供達のためとか、地球温暖化阻止とか、ちょっと良い感じの理由があるから名探偵と人気を二分するのもセオリーじゃないか。
「じゃあ別にほっとけばぁ。家の外にクリスマスの飾りつけてるとこなんて経済的に余裕のある証拠だろ。また買いなおせば良いじゃん」
 この手の事件はそれを言ってしまったらおしまいだ。
「所長はこの謎を解きたいと思わないんですか! ミステリ魂がうずかないんですか! 燃えろ探偵魂!! 輝け名探偵の星!!!」
 机の右端に置いてあった週刊誌を手に取り、開きながら「そんなものない」と煙草の煙を吐くように言った。

 私はがっくりとうなだれて来客用のソファに落ちた。



 東四柳紋十郎は不思議な事件を呼び寄せる特異体質を持つ。
 だが彼は数え切れぬほどの事件に巻き込まれながら、一度たりとも自身の推理によって事件を解決に導いたことはない。
 彼が事件の中心人物になった時だって彼は名探偵ではなくただの端役としてしか行動しなかった。
 普通自分に殺人事件の容疑がかかったとしたらば身の潔白を証明するため、真犯人を探そうと躍起になるだろう。
 一体どこの世界に証拠不十分で釈放されるのを期待して牢獄の中で待つ名探偵が居ると言う?
 金田一少年もがっかりだ。

 どれだけ奇怪で不可解で難解な事件が起こったって、推理をしなければ何の意味もない。
 こんなにうらやましい環境にあるのに、どうしてそれが彼には分からないのか。

 彼に足りないのは名探偵としての自覚。

 推理もしないのに事件だけは呼び寄せるなんて、それではただのトラブルメーカーだ。迷惑な生き物だ。有害物質だ。おじゃまぷよだ。

 本当に名探偵なんてこの世に存在しないのだろうか?



「それにしても怪盗Xmasだなんて年末限定アルバイトみたいでナンセンスだよねえ。すごい活動期間が狭い。かなかなくんもネーミングについてはもう少し考えた方が良いんじゃないの? だから月光死者も夜に踊っちゃうんだよ」
「そのタイトル次に出したら殺しますよ っていうのは置いておいて、怪盗Xmasは別に私がつけたわけじゃ」
 ないということにしてあったが。
 彼は週刊誌から目を離し、ぐるぐる円を描く自分の右手人差し指を横目で見ながら
「今時ただのドロボウのことを『怪盗』なんて呼んで喜ぶのは君くらいのもんだよ。どうせまた『名探偵VS大怪盗』がどうとか言ってみたかったんだろ?」
 と言った。

 こういう時だけ彼は鋭い。何故それを日頃の事件に活かせないのだと思うと何とも歯がゆくて虫唾が走る。


「所長のばか」
「誰がばかだ! ぼくのどこがばかだって言うんだよおい! 言ってみろ! 具体的に言ってみろばーか! 正しい日本語で言えばーか! メール大好き現代っ子!」
「うるせーばか野郎! お前なんか猛吹雪の雪山の山荘でジェイソンの仮面被った犯人に斧で惨殺されちまえ!」
「あ!そういう事言うと給料三十パーセントカットしちゃうもんね! しちゃうもんね!!」
「今更給料カットなんて怖かねぇんだよ! そういう台詞はきちんと毎月給料支払ってから言え! キャバクラなんて行ってんじゃねーよ! そんなに王の圧政に苦しめられる平民達が政権を奪い、王を処刑するまでの様を模したゲームがやりてぇならあたしが今すぐこの場でお前の首ギロチンではねるぞ!」
「ばっか! あれはもっとエロティックなゲームなんだよ!」
「くたばれ煩悩の塊! 色情狂! とっとと病院行って去勢しろ!!」


 こうして私達が口汚いののしりあいをしている間に私が名付けた怪盗Xmasはあっけなく捕まってしまった。
 怪盗Xmasの正体は信用金庫に勤める市内在住の女。三十八歳独身。
 会社での人間関係やなかなか結婚できない現実など様々なストレスから盗みを働いたと自供したらしい。
 何ともロマンのない話だ。



 東四柳紋十郎の周りで起きた心躍るような事件も、名探偵の介入を待たずして解決してしまう。
 こうして私がわざわざ持ってきても名探偵の腰は重く、動いたためしがない。

 その代わりに彼は果てしなく下らない浮気調査だとかそういう事件を解決していく。
 本来の探偵業務というのはそっちがメインなのはわかるが、こんなに不思議な事件が起こっているのに解決しないだなんて探偵として恥ずかしくないのか。

 事件を推理で解決したいと望んでも事件が起きないという凡人が五万と居て、事件が死ぬほど起きているのに推理で解決する気がない探偵が居る。  世の中は不条理で不本意だ、なんて二十歳になる前に気付いていたはずなのに。気付いていただけで理解までは出来ていないようだ。
 未だに納得は出来そうもない。

 いいや、どれだけ不条理で不本意な世の中でも、彼の周りで事件は起き続ける。
 起こり続けるのならいつか彼の腰が上がる機会も来るだろう。
 そして名探偵としての自覚が目覚めるかもしれない。
 ようやくスリリングでショッキングでサスペンスな物語の世界の扉の前に辿り着いたんだ。この期に及んで逃げることなんてとてもじゃないけれど私にはできない。

 その扉が開くまで、何が何でもこいつから離れてなんかやるもんか。じっちゃんの名にかけるまでもない。






完。



作品一覧へ戻る

茶室トップ





あとがく。
 続きません。続きそうですが続きません。
 本当はブログに載せるさらりと短い話にするつもりだったのですが、
 書き進めているうちに止まらなくなってしまったのでこの度こうして本サイトに掲載となりました。

 続きが書けたら面白そうですけど、なにぶん東四柳紋十郎氏が動かない限りはどうしようもない話ですからね。


 ちなみにところどころ出てくる固有名詞は全て探偵モノと関わっているものです。
 気が向いたら元ネタでも探してみてください。




 それから最後にこれは書くかどうか迷ったんですけど
 「岬直弥事件ノートT 月光死者は夜踊る」てのは半分パロディ半分本当です。
 というのも僕が初めて小説を書いたのは中学三年、と言ってきましたが
 実はそれ以前に未完作品が何本かありまして。
 岬直弥事件ノートはそのうちの一つだったりします。

 あぁ、タイトルはまるで違うんですよ。でも主人公が「岬直弥」で、
 「月光死者」が出てくるということしか思い出せなかったのでこんな感じになりました。
 「〜は夜踊る」てのは多分夢水清志郎シリーズから影響受けている気がします。
 ほとんど無意識だったんだけど。

 とりあえず学園ミステリで、かなりお粗末なものでした。
 七不思議の謎を解き明かそうぜ! みたいな。

 まさかこんな形で出るとは……。
 当時の自分もびっくりです。