ハナミチ 22



 夏も近付けば気持がそぞろになるのは分かっていたことで、クラスの中で聞こえる会話といえばあそこの予備校の講師がどうのとか模試の結果がこうだとか判定がどうだとか、みんな自分の心の中にある不安とかそういうねばねばしたものを言葉という形に固めて吐き出している時期だった。
 とても敏感な頃合だったから、花枝と田宮がとんでもない選択をしたという噂は瞬く間に広がっていった。

 特に田宮の方は早ければ二学期には合格が決まってしまうので、「花枝と田宮」と言いながらも田宮の方が大注目を浴びていることは言うまでもない。
 まだまだ針のむしろを歩かねばならない受験生たちが田宮(と花枝)に冷たい眼差しを注ぐことは仕方ないだろうし、二人とも今更気にすることもない、くらいに思っていた。
 敵でも味方でもなかった人間が敵に回ったに過ぎないのだ。

 無視くらいならかえって二人にとってはありがたい。世界はどんどん狭くなっていくけれど、その世界を広げたとしても鬱陶しくて重苦しいものしか入ってはこない。それならばいっそ小さくても美しいほうがきっと二人にはやさしい生き方なのだと思う。

 ただ一番困るのは
「絵を描くためだけに大学に行くんですってね? はみ出しものの汐見さんらしい選択肢だこと」
 とかいちいち絡んでくる柳瀬川だとか
「ねぇ汐見さん、もう一度考え直してみないかしら。そりゃ、今から国立は無理かもしれないけれどせめて私立の普通の大学に行ったらどう? そのほうがきっとあなたのためにもなると思うのよ」
 とか花枝のことなどちっとも考えていない教師だとか
「いやあ、汐見。先生は嬉しいぞお。美大受験なんて、美大受験なんてこの学校に赴任してから初めてだぁ……。何でも聞きに来なさい。そうだ! 放課後に美術室来て練習すればいい。俺が見てやる」
 とか世話を焼きたがる美術講師だとか(もちろん丁重にお断りした)そういう連中だった。
 私たちのことは放っておいてほしいのに。

 次の授業へ向かうために田宮と二人渡り廊下を歩いていると

「田宮さん」
 呼び止める声が聞こえた。二人が「またか」とうんざりしながら振り向くと国語の教師が教材を抱えながら二人のほうへ寄ってきた。
「あなた暮凪先生と仲が良かったわよね」
「……はい」
 花枝は横目で田宮を伺う。春以来田宮はすっかり元気を取り戻しつつあったが、このタイミングで先生のことを出すのは少々まずい。ふさがりはじめた傷を再び爪で開いてしまうのではないだろうか。また傷が開いてももう授業をサボってどこかへ行く余裕は(金銭的に)ないぞ。

「国語科準備室の鍵がどこにもないんだけれど、田宮さん知らないかしら。あそこ、ずっと暮凪先生しか使っていなかったから暮凪先生が持っていると思うんだけど」
「引継ぎとかなかったんですか?」
 花枝が口を出すとその教師は「余計なことを」とでも言いたげな目で花枝を見た。
「何せ急なことだったから引継ぎがうまくできなくてね。どう? 田宮さん」
「知りませんけど」
 女教師は「そう」と残念そうにつぶやいてしばし考え込んだ。
 急で引継ぎが出来なかった? 先生の退職は前から決まっていたものだとばかり思っていたのだが、引継ぎもできないほどに急だったのか?
 花枝はふとあの日の光景を思い出したので女教師に質問を投げかけた。
「でも今はあの部屋に何が置いてあるってわけじゃないですよね。それなら別に困ることもないんじゃないですか」
 少なくとも花枝が行った日にはもう教材やその他のものは全て処理されたかどこかへ運び出されていた様子だった。
「うん。国語科では使う予定がなかったんだけどね。他の先生から明け渡してほしいって頼まれちゃったのよ」
 田宮は黙ったままだ。
「それなら先生のご自宅に電話して返してもらうとか」
「電話もかけたんだけどね。なんだかお留守みたいなの」
 そろそろチャイムが鳴るので切り上げたかったのだろう。女教師がさも今思いついたように
「そうだ。ねぇ田宮さん、先生のお家に行ってみてくれないかしら。多分直接行ったほうが早いと思うの」
 と言ってポケットをまさぐり、住所の走り書きされたメモを差し出した。
「お願いしてもいいかしら」
「…………」
 田宮はその紙をただじっと見つめ、口を真一文字につぐんだまま微動だにしなかった。
 一見元気そうな田宮でも、きっとまだ先生のことは整理が付いていないのかもしれない。そう察した花枝はメモを女教師の手から親指と人差し指で引き抜いた。
「私が行きます」
「そう? 悪いわね」
 チャイムが鳴り、教師は礼もそこそこに小走りで廊下の角を曲がって行った。
 今そのアイデアを思いついた人間が、どうして先生の住所が書かれたメモなど持っているのだ、という事はこの際尋ねないほうが利口だ。花枝としても先生の住所は知っておきたいところだった(年賀状ぐらい出したかったのだが、なんだかんだで聞きそびれていた)。
「花枝ちゃん……」
 申し訳なさそうに花枝を見つめる田宮に花枝は微笑みながら答えた。
「大丈夫だよ。別に」
 正直なところ、鍵を先生から返してもらっても女教師に返還する気は端からなかった。あの三人だけの許された空間を他の誰かが占有するなど考えたくもない。それならば二人の隠れ家に使ったほうがよっぽど良い。
「先生から鍵返してもらったらギっちゃおう。それであたしらの住処にするんだ」
「…………うん」
 田宮は何かを言いかけたが下唇を噛んで小さくうなずいた。再び顔を上げたときはいつもと変わらぬ表情で
「授業、遅れちゃうから早く行こう」
 と花枝の手を引っ張った。


 先生の住所は学校からかなり離れたところにあるようだった。聞いたことはあるけれど一度も降りたことはない街。花枝は決して方向音痴というわけではなかったが、見知らぬ土地の住宅地に無事たどり着くことができるかどうか心配だった。田宮が居てくれたら心強かったけれど彼女はきっと行くことはないだろう。
 安請け合いをするのではなかった、と溜め息をついたのは田宮に気がつかれなかったと思う。



 その街は思った以上に栄えていて、それでいて駅を離れればこざっぱりとしていて、とても住みやすそうなところだ。
 区画整備が整っていて先生の家を探すのは苦労しそうもなさそうだ。気持ちの紐が緩んだ。

 けれど、この街の印象はあまりにも先生とのイメージからかけ離れていて、本当にこの街に先生が住んでいるのかどうか花枝には疑わしく思えてしまう。

 そもそも先生の奥さんとはどういう人なのだろう。考えてみれば花枝は「暮凪」という人物のことについて何一つとして知らない。
 知った風な口を利いてばかりいたが結局自分は先生と生徒という関係しか築けなかったのかもしれない。

「ここだ」
 クリーム色に灰色の屋根の一軒家。表札にはしっかりと『暮凪』と掘り込まれてあった。間違いない。
 門を開き、数歩歩いた先にあるドアの前に立った。足が震える。
 少し躊躇いながらも意を決してインターホンのボタンを押した。








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注釈:「ぎっちゃう」=「パクっちゃう」=「盗んじゃう」。 どこの方言だか忘れました。北海道だっけ。










*おまけ*
 本編とはそれほど関係ありません。

「絵を描くためだけに大学に行くんですってね? はみ出しものの汐見さんらしい選択肢だこと」


「………………」
「………………」
 花枝と田宮は目をあわせた。

「何よ。本当のことでしょ」


「っていうか」
「……だれ?」



「柳瀬川!! 暮凪イビリの主犯格!!」


「「誰?」」

「!!」







*おまけ その2*(元ネタ知らない人にはわからないのでスルーしてください。
 驚くほど本編とは関係ありません。某ゲームとも関係ありません。……ありません。

「先生から鍵返してもらったらギっちゃえばいいよ」
「でも花枝ちゃん、それじゃあ評価値下がっちゃうよ……?」

「評価値だぁ?」
「アーティファクトはきちんと献上しないと。またあの人に怒られちゃう……」
「あの人に怒られるぐらいなんだよ! そんなだから田宮はBエンディングしか見られないんだ」
「でも……Cエンディングになっちゃったら元も子もないじゃない」
「そんなもんエインフェリアの一人か二人適当に送っておけば何とかなるよ。あとは使えないアーティファクト献上したりさ」
「そうだけど……」
「大体お前だって宝剣グリム・ガウディ献上したこと後悔してるんじゃないのか?! あれさえあればドラゴンゾンビ戦であんなに苦戦しなかっただろ!」
「……」
「大体一番最初のダンジョンにあんな便利なアーティファクト出すなんて卑怯だ! 普通一番最初はみんな献上しちゃうだろ。そんなひねくれたことする神々(と書いてトライ●ースと読む)にお前は腹が立たないのか?!」



「花枝ちゃん、話題、変わってる」
「え?」