最終話


昼間だと言うのに随分と薄暗い日だった。
黒い雲はその近辺一体に広がって、街を影の中に沈めていた。

御者のハドムは鼻をひくつかせ、車の中にいるテン達にも聞えるような大きさの声で
「こりゃあ降りますね」と告げる。
「「そうですね。凄い雲だ」」
ポケットの中から石が反応する。テンは何も言わず、ただじっと窓の外の世界を眺めていた。
「なるべく早く街に着くようにしますが・・・・・この分じゃちょっと降られるかもしれませんな」
「あぁ、うん」
まるで気の無い返事だけ返すと、また窓の外に視線を戻した。


そしてぽつりと
「雨、か。物語の最後にはうってつけかもしれないな」
雨粒が窓を叩き始めた。




***


「それで、ジョアっていう人はどこに?」
「「ねぇ、テン。やはり考え直してはどうですか?」」
傘をさし、降りしきる雨の街をつくねとテンが歩いていた。
例に漏れず石はテンのポケットの中に。
「何をだい」
「「ジョアさんと会っても何も得る事はないと言ってるでしょう。
 全く無欲な人間でしたってこれを言ったの何度目ですか」」
するとテンは苛立ったような声で早口にまくしたてあげる。

「もう何度も言っただろう。そんな時間はないんだよ」
けれど石は退がることなく
「「けれどいくらでも誤魔化すことはできるでしょう。今までそうしてきたように」」
「でも、いつかは終わらせなくてはならない。そうだろう?」
「テン様……それでは『願い』を?」
「まぁね」
「「それでしたらいまここで叶えてさしあげましょう。さぁ、何です?」」
「まだ言わない」
「「何故。それがこの旅の目的なのでしょう」」
石もテンも、何かに対して憤っているようだった。同時に、戸惑い。

「これは賭けなんだ」
と、テンが言う。雨が傘を叩く音がとてもうるさく感じられた。
テンは薄靄がかかった道の先をじっと睨み付ける。
まるでそこに獲物がいるかのように鋭い目つきだった。
「ジョアと言う人に全てを賭ける」

この時、本当はテン自身もまだ迷っていた。
願いは二つ。「自分の望み」と「そうでないもの」
そしてそれは皮肉な事に、相対するものだった。

もしも、ジョア氏が今までの人々と違うなら、

人は愚かでないと信じる事が出来た時は。―――



**************


「私に特別願いなどない」
テンと同じ言葉をジョア氏も明瞭な口ぶりで言った事を石はありありと覚えている。
ジョア氏はこの国を治める王に仕える大臣の中でも一番地位が高い身分に身を置いていた。

聡明で厳格で、王にも城の中の人間達にも信頼を得ていた。
「「それはきっとそうでしょうね。
地位も名誉も金も愛も信頼も。
この世のあらゆる物を持っているんじゃないですか?」」
しかしそれでは石にとっては困る。石が見初めた「主」の願いを叶えなければ
次の「主」の元へ行く事が出来ず、役目を果たせなくなってしまう。
「「それでも何かしらありませんかね」」
そう尋ねると、ふん、と鼻で笑われた。
「そんなものに何の意味があると言う。
お前が私の望みを叶えるだと?笑わせる。お前は大したものだな」
石の元へずいと近寄り、「いいか?」と切り出して説教を始める。
「お前に望など叶えてもらって、それが何になる。私に地位も名誉も何もなかったとしても、
お前に望みを乞うなどという愚かしい事は決してせん。
金が欲しいなら働け。
知識が欲しいなら学べ。
地位が欲しいなら策略を巡らせろ。
愛が欲しいなら己を磨け。
手に入らないと思い込んでいるに過ぎないのだ」
満足げに腕を組み、石を見下していた。
その見下されている石は「「なるほど」」とだけ言った。
図星を突かれて何も言えないというよりも、そう言う考え方もあるのだということを認めたという
なんだか軽い印象だった。
けれど、ジョア氏は言葉のニュアンスを気にすることなく勝利の微笑みを浮かべていた。
「ところでお前は先刻『前に叶えた「主」の望みは叶えられないと言ったな」
「「はい、その通りです」」
「では『私の前から消えうせろ。』次の主の所に行けというのが私の願いだ。
そう願ったものはいたか?」
「「『主』の権利を放棄すると言うわけですね?それはまだ叶えていません」」
「今までの輩はどうやら愚かな人間どもだったらしいな。目先の欲に眩みおって。
 では、それに」

「「本当に、それで良いのですね」」
「くどいぞ」
「「わかりました」」

自分は世界で一番偉いと書いてあるような背中を見ながら、石は次の主の元へと消えた。

***************

雨足は強くなる一方。
ひとまず宿に戻る事になった一行は埃のにおいがする安ホテルで一休みする事になった。
テンは湿った服を着替え、
ルームサービスで持ってこられた二杯のコーヒーの湯気をじっと眺めていた。

部屋の空気は湿気を帯びたように重く、静かで

窓辺に佇むつくね。
ベットの上に座るテン。
脚の短いテーブルの上に乗せられている石。
(ハドムは別室だ)

各々は動いたら何かが壊れてしまうのを恐れているようにじっと定位置にいる。
ただ無慈悲に時が刻まれて流れていく。
それが心地よい事なのかはまったくわからない。



「夕飯だ」
窓枠の中が真っ暗になったころ、
ようやく気付いたようにテンが冷めたコーヒーから目を離した。
「つくねは来なくていいよ」
当たり前というように着いて来ようとしたつくねを制止する。
この辺りでは科学技術が発達していないので「機械人形」という概念が理解できていないらしい。
食物を摂取しないつくねをいぶかしむ事は受け合いだ。
(しかしあまり科学技術が進歩しているところでも
「VALなんとか」は廃棄対象と言う事が知られているので公には言えないのだが)
それを知ってか知らずか、つくねはさっと身を引いた。
「じゃあね」
静かにドアを閉める。
ドアの外の冷たい空気に触れると、全身の力が抜け、思わず壁にもたれかかった。
「何をやっているんだ……私は」
深呼吸をする。

けれど胸の気持ち悪さはわずかさえも抜け出ない。






「人間とは不思議なものですね」
雨の音だけが聞こえていた部屋で、一つと一体が取り残された。
「私はテン様が何を悩んでいらっしゃるのか全く分かりません」
「「人間は弱い生き物ですから」」






「お客様、大変申し訳ございませんが、現在予約がいっぱいで。お席が空いていないのです」
レストランで水の入ったグラスと戯んでいると、ボーイの感情が入っていない声が聞こえてきた。
その肩越しに、入り口に立つ、お世辞にもきれいとは言えない身なりの男が立っていた。

頬はやせこけ、ひげは伸び放題。
頭は白髪がところどころ目立ち、頂は随分と薄くなっているようだ。
しかしコートだけは汚れてこそいるがなかなか上質な物のように見える。

「頼む。スープだけでも良いんだ。スープだけ。それだけの金ならある」
「申し訳ございません」
店内はまばらに人がいるだけで、予約が入っているとは到底思えない。
気付けば他の客は声を潜めて話をしながら妙な目で男を見ていた。

確かに格好は浮浪者そのものだが、なんだかテンには不憫に感じられた。
「それなら、それならパンの切れ端だっていいから出してくれないか。席などいらないから、だから」
「お客様、申し訳ございませんが」
「あの。相席でもよろしければどうぞ」
振り向いたボーイと客人のテンを見る顔は滑稽なまでに対称的で、
まるで天国と地獄の縮図を見ているようだった。

「ですがお客様――」
「私は構いません。需要があれば供給するのがあなたがたの仕事ではないんですか?」
ボーイの肩の向こう側に立つ男に「それで良いですか?」と尋ねると、大きくその頭を縦に振った。
「……かしこまりました」
苦々しい顔でテンの席へと男を案内した。