砂時計が沈黙した日

 探索者 雅也と亜紀の話

1.きぼう

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かすかに消え入るような歌声は、この現状には似つかわしくなく、優しいメロディを奏でていた。
その声の主は崩れたコンクリートの上に座って足をぶらつかせているようだった

「良くこんな時に歌なんて唄っていられるね。呆れるよ」

「あら、唄いたい時に唄ってはいけないの?」

天使の歌声は一変して悪魔のそれに変わった。。

「だからってこんな状況でさぁ」

「この国は歌を唄うことすらも規制されてるワケ?良いじゃない別に」
とは言っても、この荒れ果てた大地の上を歌声が流れるのと言うのはなんとも不自然で
違和感を増長させるのだった。
それでも亜紀はまた唄い始める。

大震災から数時間。運良く生き残った雅也と亜紀はただ呆然と、変わり果てた街並みを眺めた

「・・・・・・・・・大丈夫だった?亜紀ちゃん。怪我・・・・ない?」

雅也は亜紀の横に腰を下ろし、歌声の中で尋ねた。歌がぱたりと静かに止んで

「お父さんもお母さんも死んだ」感情を含まない声だった。そっちは、と横目で訊かれたので
うちも、と短く返した。それはなんだかいつもと変わらない
「うちの親はだめだ」みたいな不幸自慢のように聴こえなくも無かった。

「ねぇ、世界が終わるとしたら・・・・・・ってこの前訊いたよね?」
「うん」

「じゃあさ・・・・・・・世界が終わってしまったら・・・・・・・どうすればいいの?」

その時雅也はこんな時にこそ歌がほしいと思った。

何も考えられない時にその隙間を埋める事が出来るのなら。癒されはしないかもしれないけど

そして最後には、あぁ、そういえば僕は歌が苦手だった。と気付いてしまった。

「いつ救助来るかな・・・・・・・」
彼の口から洩れた言葉は歌と呼べる程の物ではなくただ隙間を広げただけだった。

災害時の避難場所に指定されていた小学校はかろうじて校庭は使える様だったが
校舎の3分の2は崩壊していた。

そこは二人の母校だった。

「すごい地震だったのね」

校庭に集まってきた人々の少なさと崩壊した校舎。

そしてはるか向こうに立ち昇る煙。

その煙に霞んで見えにくかったが、確かにビルが真ん中辺りでぽっきりと折れているのが確認出来る。

今更ながらに「あの地震」の大きさを実感させられた。
「生き残った人って・・・・・・これだけじゃないよなぁ?」
この街の人口は何人だったろうかと考えながらとなりに尋ねてみたが、まさか、と笑われてしまった。
けれど亜紀はそのすぐ後にまぶたを半分だけ落とした。

絶望を信じないように、雅也も一度目を閉じた―――

どうしてこんな事になってしまったのだろう。

ついこの前までは彼女と二人、カフェテリア(学校の食堂)でお茶を飲んで(お値段リーズナブル)
楽しく歓談(世界が終わる時は何もしない方がいいうんぬん)していたというのに。

日常というのは何らかの力によって非日常を抑えつけていたのだろう。

いつもの平穏の裏には恐怖が形(なり)を潜め、抑えつけられていた力が緩み、撥ねかえすタイミングを
密かに待っていたのだろう―――――

「せんぱ・・・い?」

背後から聞こえてきたものはまだ新しい記憶をくすぐる声だった。
「白亜ちゃん?!」二人の声が重なって下手なハーモニーが奏でられる。
「白亜」と呼ばれた少女はほっそりとしていて、
咲き始めたばかりの秋桜を思わすような可憐さを持っていた。
しかしその可憐さも二人と同じく薄汚れてしまっていたようだ。

「大丈夫?怪我はないみたいね」「えぇ、大丈夫です」
制服のブレザーについた汚れを亜紀が払うのを静かにしたがって瞳を潤ませていた。

三人は思いもよらない再会にしばし喜びを噛み締めていた。

白亜は亜紀と雅也の2つ下で中学時代の後輩であった。
特に雅也とは同じ部活動で( 科学部 )亜紀には到底理解できなかったが
先輩として白亜は雅也を尊敬していたようだった。
無論ではあるが雅也の彼女である亜紀とも仲が良い。

二人が高校に入学してからは、特にこのところは白亜が受験生ということで
あまり会う事ができなかったりして

まさかこんな形で再会するとは3人とも思いもよらないことであった―――

「学校から帰ったらすぐにこれだもの・・・」
足を投げ出し、剥がれた道路のコンクリートの上に座り、うつむきながらため息をつく。

亜紀は白亜のすぐとなりで話を聞いてあげていたが、雅也は少し離れたところで切れ目のない空を
ぼんやりながめているくらいだった。
あれは夜空なのだろうか、曇り空なのだろうか

目の悪い雅也には星など見えないので判別する事はできなかった。

そして今何時だろう・・・と考えてみる。

左手に巻いていた腕時計は壊れて6時11分で止まってしまっている。

あれから2〜3時間は経っているだろうからだいたい9時かそのぐらいか――

とりあえず胃の中が空っぽで切ない悲鳴をあげているのでそのくらいであることは間違いなさそうだ。

「ねぇ・・・先輩・・・『みんな』・・・・・・・・・・生きてますよね?」

向けられた瞳は水分を多く含んでいて、雅也の胸を握っているような気分だったが、

思った事を正直に言ってつき離した。

「さぁ・・・絶望的だと思うよ?」

「そんな・・・・・っ」
「僕の近所じゃほとんどの家が潰れてたしね。オヤも一緒に」

一瞬フラッシュバックした記憶は忘れる事のできない、無残な両親の死に目だった。

恐ろしい犠牲者の数になっているだろうことはその場にいた誰もが肌で感じ取れることだった。

それでも白亜は真実を受け止める事はできず戸惑う様子を見かねた亜紀に肩を抱かれた。

「あんたは優しいのか優しくないのかわからないわ・・・」
「そうかい?これでも優しさなんだけど」

おちゃらけた口調で真剣に空を眺めた。
月が見えないあたり、やはり雲に覆われていたのだろう。
昼間はあんなに晴れていたのに。

「どうして・・・・・?どうしてこんな事に・・・・・・・」

知った事じゃなかった。

地震から2日経ってようやく食料の配給が始まった。あまりに遅すぎる対応で心中では抱え切れない
不満を持っていたが、それを爆発させるほどの火は誰の心にも無かった。

世界の敵は「空腹」じゃないだろうか。

「なにかおかしい」「おいしいの間違いじゃなくて?」
「お世辞にも美味しいとは言えないからおかしいでいいんだ」
どうにも賞味期限が切れていそうな乾パンを口に、唸り続ける。

「なんでヘリが飛んでないんだろう」「へり?」
「そう。へりこぷた。救援も、報道でさえも飛んでない。
普通大震災でもあろうものなら上空から撮影するでしょ」

あたりはひっそりと静まり返り何者も近寄ってくる気配は無い。
それがかえって不気味で心の内側をがりがりと削ってくるようだった。

「それに配給まで二日もかかる?どう考えてもおかしーよ」
最後のひとかけをのどに流すともう一枚に手を出した。

「あの地震だもんきっと大変だったんだよ」

頼りない空想はかみくだいた乾パンと一緒にのみこんだ。
けれど咀嚼が不十分だったのか胸の奥でもやもやと消化不良を起こしている。
三人とも今の空みたいな色をして落ち込んでいた。

「ねぇ、白亜ちゃん、元気を出してよ」

雲が太陽を封じてしてしまっても、今が昼なのか夜なのかぐらいはわかる。
今はきっとキレイな夕暮れだろう。

その中、亜紀は白亜の肩を優しく抱いている様はそこだけ切り抜いたなら
三流青春ドラマのようだった。

「いつも元気な方が白亜ちゃんらしいわ。いつでも希望を持って生きなくちゃ」

「きぼう?」

虚ろげな言葉は口に出すと余計に薄さを増した。
それでも必死に慰めようと「希望」と繰り返して、そして

「きぼうってなんですか?」

「え・・・?」
「きぼうって、どういうことですか?」
「この先の話よ。いつか誰かが助けに来てくれるわ。だからね」
「そうでしょうか・・・・・・・・・」

そして亜紀は気付いた。気付かない振りを通すつもりだった心の奥の「それ」に。

「地震などの災害時に必要なものはなんだと思う?」

「は?」唐突な訪問者はいつも突飛な質問を浴びせてくる。

「水と食料、あとは・・・医療品、じゃないんですか?」

人差し指を横に3度振ってから勿体付けるように「のんのんの〜ん」と否定した。

「それもアリ。けどやっぱ必要なのはこれっしょ」

雅也は左腕に抱えた物を差し出して子供が宝物を見せびらかすように白い歯を見せ笑い

「正確な情報っ」

それは若干埃をかぶってはいたが、あきらかに「それって・・・・ラジオ?!」だった。

三人が額を寄せ、薄汚れたラジオデッキをかこみ、ツマミをぐりぐりと動かしている。

右に回し左に戻し、まるで船の舵を取るように繊細に大胆にまわす。

「こういうのってFM?AM?」「バカ、NHKじゃないの?」「東京って大丈夫なんですかね?」
「どっちも聴いてみるか」

雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音
雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音
雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音雑音

沈黙

「聴こえませんね」「こいつぶっ壊れてんじゃないの?」「失敬なっ」「てかこれどこで拾ったのよ」
「瓦礫の下」
「それってドロボーなんじゃ・・・」

「それよか放送が聴こえないって事はさ」

放送局そのものがもう―――――

「うん、やっぱりおかしい」
5回目の配給があった日。雅也は唸る。

「またそれ?なんだってのよ今度は」
呆れながらも乾パンをゆるやかな放物線を描かせながら渡す。白亜にはきちんと手で渡して。

「どうして救助がこない?日本のがダメなら海外から来てくれたっていいじゃないか」
「そうですよね・・・・見放された・・・・・とは考えにくいですし」

亜紀は無反応で我関せずと機能の方を向いて乾パンを少しずつ口に放り込んでいるが
白亜のほうは興味津々と言う感じで雅屋の話に釘付けられていた。
(「白亜ちゃん、あんまりバカに関わるとバカが伝染るわよ」「ナニソレ・・・」)

「白亜ちゃん、よ―――――く思い出して?地震の時の事」

――地震、家に着いたらぐらっときて・・・・・・・?

「あの地震は横揺れだった?縦揺れだった?」
得たり、というような得意げな笑みをたずさえて、その顔を少しだけ近付けた。
「ん〜・・・?」「それがなんだっていうのよ」

これが一番重要なんだよ、と公式を教えている教師のような口ぶりであしらい返してみるが
その返した相手は何が不服なのかこっちを向こうとはしないようだった。

「・・・・・横揺れ、でしたね。」
縦揺れというのをあまり経験した事はないが、いつもの地震と違和感がなかったのなら
横揺れだったのだろう。

「そう。確かに横揺れだった。けれどそれはありえないんだ」
「何でですか?」
「普通の大震災とかってのは最初に縦揺れがくるものなんだよ。この前の地震は『あれ?地震?』
って考える位の余裕があった。横揺れだったから」

「どういう・・・・ことなんですか?」

「さぁね。僕の知識の範疇じゃない。それ自体もなんとなく聞いた事があっただけだからね

でももしかしたら」

「だから一体なんだってのよっ?!」

「もしかしたら」に続く言葉は、すとんとどこかに弾けて消えてしまった。

訪れた静寂は想像以上に重く、苦い鉄のようだった。

さえぎったはずの亜紀本人は何も語ろうとしない。

「亜紀ちゃん?」

「そんな事言ってて楽しいわけ?!中途半端に恐怖を与えてさぁ!」

正直今まで見た事もないくらいにひどく激昂した亜紀に驚いていた。
「別に僕はそんなつもりで言」「結果的には同じでしょ?!」

これはどうやら本気で怒っているようだ。しかしどうして怒っているのかは
雅也に理解する事は困難だった。

「わかんないわけ?!あんたがどれだけ残酷な事してるのか。」
「亜紀ちゃ―――」
「もうやめてよっ!!もう・・・・・もう・・・・・」

肩にかかる髪をゆらし、ごつごつとした大地を蹴って走り去ってしまった。

残された二人は狼狽を通り越し、ただその場に立ち尽くすばかりだった。

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