砂時計が沈黙した日
漂流者 壱太の話
2.まっしろ
うたが聴こえた。 優しくて、消えてしまいそうに小さな、か細い歌だった。 それはなにか物悲しくて、けれど安らかな気持ちになれる。そんなうた。 誰だろう? こんなかなしいうたをうたうのは、誰なんだろう。 ゆっくりと目を開けると、そこはやはり真っ白だった。 (夢じゃなかったんだ) 淡い期待は、ずしりと重みを持って、絶望という名前に変わった。 そしてようやく自分がどういう状況にいるのかを自覚した。 あのおんなのひとの顔が少年を覗きこんでいた。 ひざの上で眠ってしまったらしかった。 「………」 何を言うでもなく、ただ無表情なまま、少年を見つめる。 「あ、ご―――ごめんなさい」 飛び起きるように身体を起こし、まだぼんやりとしていた目をこする。 まぶたの辺りが熱をもっているようだった。 泣きすぎて目が赤くなっているのだろう。 少し恥ずかしかった。 ――この人がうたを歌っていたのだろうか?―― 彼女の冷たい表情から出たとは思えない、あたたかいうただった。 それは母親の子守唄のようで、とても気持ちが良く、辛い現状を一時だけ忘れさせてくれていた。 そう。どことなく心音を思わせるようなうたごえだ。 彼女は目を伏せ、ゆっくりと立ち上がった。 「ごめんなさい」 「……え?」 とうとつに謝罪の言葉を口にされ、少し戸惑う。 「なんであやまるんですか?」 「………私が、貴方の世界を壊したから」 「――――――――」 たった一言で済むような問題ではなかったが、それを追求する気にはなれなかった。 「あの。名前・・・なんていうんですか?」 「………?」 「僕、壱太(いった)って言います………あなたは?」 「わからない」 「へ?」 「呼んでくれる人なんていなかったから」 どう言う事なのだろう? 壱太には理解する事は出来なかった。 自分の名などというものを必要としない者達など、ましてはその気持ちなど。 「ここに、ひとりで住んでるの?」 短く、ゆっくりと首を縦に振って肯定する。 その姿はなんとなく幼い少女を思い起こさせるものだった。 「私の使命だから」 それから少しだけ、彼女の事を聞いた。 「か、神様っ??」 ―なのだそうだ。 彼女は「執行者」と呼ばれる神で、世界の終わりを司り、 「時」が満ちたときには実際に世界を破壊する役目を担っていた と言う話だ。 壱太は「ふーん」とただ一度頷いて、それだけだった。 まだそういうことに適応できる年齢だったようである。 「ねぇ、それじゃあ世界はどうなるの?」 好奇心と不安の混じった声で質問するが、女神の方は少し表情を曇らせた。 「私には――解らない」 それきり、ふたりは黙り込んでしまった。 「それで」 その沈黙を破ったのは、以外にも女神の方だった。 「貴方はこれからどうする?」 「………」 この問に対する答えを、壱太は相変わらず持ち合わせていなかった。 「どうしたらいいのか、わかんない」 「でも、これから貴方はどうするべきか考えなくちゃいけないわ」 それでもわからない。 白紙の紙はただ漠然としすぎていて、どうしたらいいのかわからない。 問題が印刷されていないテストを解けというのと同じじゃないか。 それでもはっきりとしている事がある。白紙のテストにも名前位かける。 「帰りたい、です」 たったひとつの自分が持っている答え。 「もう貴方がいた世界は貴方の知っているものではないのよ?」 それでも―――? 壱太は下唇を噛んだ。 それが一体どういうものなのか わからない………。 「どれが正解か、わかんないです。ここにいるべきなのか―――帰るべきなのか」 「ここにいれば貴方は安ぜ――」 「でもっ!!………僕は、今まで生きてきたあの世界がすきです」 「あのせかいが―――すき?」 力強く頷いてみせた。 理由なんて無く、根拠なんて存在しないけれど。 「貴方は知らないのよ、あの世界の醜さを」 顔を背け、苦いものをふくんだような表情を見せた。 本当にそれは苦いものだったのかもしれない。 「人々はいがみ合い、自分勝手で利己的で、他人を蹴落とし生きる。諍いが絶えた事も無いじゃない」 「………」 「そんな醜い世界で、どうして人は生きていけるの?!」 「夕陽が綺麗なんですよ」 「え」 「僕がいた街は、ビルが多いんですけどね。そんな中でも夕陽だけは綺麗なんです」 「ゆう、ひ?」 「あなたが知らないだけなんだと思うよ」 「―――」 「生きてる意味とか、なんかよく分かんないけど。でも僕、楽しかった」 「だから、帰りたい」 「辛い現実になるわよ。世界中のどこに行ってもおなじなのだから」 「うん、でもきっと何か楽しい事はあるよ」 女神は、 思った。 知らなかっただけなのだろうか? 人間は愚かな生き物だと思ってきた。 けれど、こんな風に笑うことの出来る人間がいたのだろうか。 もし、そうだとしたらわたしがやってきた事は―――――。 「………本当に、いいのね」 うん、と小さくつぶやいた。 すると女神は壱太の額に右手を当て、何かをぼそりと言う。 一瞬それは光り、反射的に目を瞑る。 今度は左手を差し出し、大きく緩やかに円を描いた。 その円の中心に光の球ができ、だんだんと大きくなる。 「ここからいけるわ。だけど、これは一方通行だから。 もし戻ってくるとしたら『鍵』と『鍵穴』が必要になるの―――それを見つけないと」 「大丈夫。心配ないと思う」 女神は少しだけ悲しそうな顔をした 「ごめんね。でも、僕は向こうで生きたいんだ」 光へと足を踏み入れる。 半分くらい入ったところで、あ、と言って壱太はまた戻る。 「名前。やっぱあった方が良いと思うからさ。なにか好きな名前ってない?」 しばらく女神は驚いて、ようやく自分の名前を考えてくれようとしていることに気がついた。 「わからない」 「じゃー………」 「刻さん」 キザミ、とそう言った。 「?」 「時を刻む、の刻。どう?」 「うん、それでいい」 壱太は満足げな顔をして、また光の方へ歩き出した。 「じゃーねーっ刻さん」 どこかへ出かけていくようなあっけらかんとした別れ。 それは終わってしまった世界へ旅立つものとの別れとは思えないくらいに軽いものだ。 なんとも滑稽な。 いや、世界もすでに滑稽なのかもしれないが。 その滑稽な明るさが、向こうでも保てるといいのだけれど―――― 壱太の姿は光の中に消えた。 彼女がとある少女に与えた、「先の出来事を見せる」能力の片鱗がまだ体内に残っているのか 嫌な予感はしていたのだ。 それでも 彼女は一つの可能性に、まだかけていた。 「―――――ここ、どこ?」 壱太は本来自分があるべき世界に帰ってきた。 その有様を大きく変えてしまった世界。 地面を覆っていたコンクリートははがれ、 人々に豊かな生活を送ってきただろう送電線はだらりと垂れて大地をくすぐっていた。 夕陽を溶かしていたビルも、その根元からぽっきりと折れてしまったようだ。 なんだ、これ 地震によってこんな風になってしまったのだろうか いや、それにしては様子がおかしい。 ひっそりと静まり返っている。 誰一人いないと言うのもおかしなものだ。 辛い現実になるわよ。世界中のどこに行ってもおなじなのだから 刻の言葉が脳裏をよぎった。 壱太はかけだした。 その不安から逃れるために。 どうしてこんな事になってしまったのだろう。 どうして。 やはりみんなは― 今は考えずに、誰かを探した。 誰もいないの? みんな いつの間にか、壱太の目には涙が溜まっていた。 続く。 →BACK →一覧に戻る |