ルームランナー



「降る」

「降らない」

「降るって」

「降らないってば」

俺と彼女の不毛なやり取り。
あれは花火大会の丁度一週間前。とどのつまりは俺の誕生日の一週間前ということになる。





「よぉ、万年浪人生!」と威勢良い声で待ち合わせ場所の公園に現れた彼女は、相変わらずの服装だった。
「万年言うな」「否定出来ないでショ。何よ二十歳にもなって受験生って」「うるっせぇな。ナンゴクの癖に」
 南国というのは彼女の高校時代のあだ名で、高校に入学して初めての遠足に、麦藁帽子を被ってきた事が起因する。
5月も末で少し汗ばむ陽気ではあったけれど、
流石に麦藁帽子を被ってきたのは彼女だけだった。
それがあまりにも似合いすぎて、思わず「南国のヤツみてぇ」と口走ってしまったもんで。
彼女のあだ名は「ナンゴク」となった。
(彼女に華麗な蹴りをお見舞いされた)

 彼女によれば、「苗字が諸星だからもろこし、もろこしって小中といじめられてて。やっと開放されると思ったのに」
と、むくれていたが、服装は相変わらず南国のままだ。
彼女自身のポリシーは貫くつもりらしい。

 まぁこんな今時漫画にもならない出会いだったわけなのだが。
いつの間にやら仲良くなって、いつの間にやら好かれてて、いつの間にやら付きあってた。
別に彼女を愛してるとか(愛してないわけではないけれども)彼女じゃなきゃだめなんだとか思ってるわけでもなく
ただ流されるままだらだらとこの関係を続けているのだ。
それがどこか心地よくて、生あたたかくて。好きってほど好きではないけど嫌いではない。
熟年夫婦のような関係になってしまっているのだった

「で、勉強の方はいかがで?」
「さっぱり。めんどくせえよ」
「そんなんだからダメなんだって。野々宮はー」
「うるっせぇな」
さっきこいつに悪態つかれた「万年浪人生」というのは事実だ。
俺は過去二回大学受験を失敗し、現在浪人中の身である。


友達や元クラスメイト達はもうとっくに楽しい大学生活を送っているというのに俺は暗くじめじめとした浪人生活だ。
別に難関大学を狙っているというわけではない。普通に努力さえすれば受かるレベルのところだ。
けれどそんなところですら俺は落ちてしまっている。

何故か。

答えは簡単だ。意味を見失っているから。

学歴社会は終わったといえど、大学くらい出ておかねば通用しない世の中。
だから俺は大学に入る事を諦めない。
しかしそのための努力を怠っている。
正直、大学に行くのに目的なんてなく、ただ流されて生きているだけかもしれない。いや、きっとそうだ。

だから俺はナンゴクが羨ましい。
「お前は気楽でいいよな。大学なんて行かないで麺ゆでてりゃいいんだからよ」
「そんな気安く言わないでくれる?ラーメン屋の修行だって厳しいんだから。あんたなんかじゃ一日で音をあげるでしょうよ」
「好きでやってんだろ?どーせ」
「馬鹿。あたしだって普通にOLとかやってみたいっての。
 しょうがないじゃん。後継げるのアタシしかいないんだもん」
と言って、最後に意地の悪そうな顔で「あんたがうちを継いでくれんなら大歓迎よ?」と付け加えた。
俺は茶を濁すことなく「やなこった」と返し、眼をそむけた。この会話をするとナンゴクは笑いながらも寂しそうな顔をするのだ。
そんなナンゴクは見たくない。

正直、ナンゴクと俺は付き合っていては(ましてや結婚なんぞしては)いけないのだと思う。
こんな情けない男の何が良いかさっぱりとわからないが、この関係は長く続けば続くほど彼女を傷つけてしまうだけだ。




「それで?おんぼろラーメン屋に出なくていいのか?」
「おんぼろ言うな。野々宮に会うためにオヤジに無理行って来たんだからさー」
ナンゴクの家はラーメン屋だ。お世辞には儲かっているとは言えない
馴染みの客が来なくなればいとも容易く潰れてしまうほどの小規模な店。
(そのくせその小さなたたずまいとぼろい見た目で新規の客は入りづらい)
味の方はというと悪くもないが良いとも思えない。
俺自身そんなに行列の出来るラーメン店を渡り歩いて舌を肥えさせているわけではないので(苦学生だし)
良し悪しなどほとんどわかったものでないにせよ、
ナンゴク家営む「もろ星」のラーメンは自宅で作るよりはおいしいかもしれないが、金を払ってまでは食べたいと思えない。
それがラーメン店における「もろ星」の位置である。
それをどうにかして大行列が出来て、コンビニで売られるほど有名になるまでにのし上げたいというのがナンゴクの野望だった。
彼女は野望のために日々ラーメン作りに励み、(マズイ)ラーメンを考案しては俺に食べさせる。
俺はそのラーメンが食べたくないので嫌がっているわけではない。
一生懸命夢の実現に向かって頑張る姿を目の当たりにしたくないのだ。

ナンゴクは週4日他の大手ラーメン店に修行に行き、残りの3日を家の手伝いに当てている。
まだ20歳で遊びたい盛りだろうに、ほとんど休みもなしに働いている。

正直不器用なんだと思う。
今時家業を継ぐだとか、修行だとか、夢のために頑張るだとか、
馬鹿なんじゃないだろうかと俺は思う。
「別に俺に構ってくれなくたっていいんだぞ」
「は?あんた何言ってんのよ」
「シュギョーする方が大事なんじゃねぇの?」
「そんなこと」
ないけど。と小さく言って、ついにナンゴクは俯いてしまった。

そんなつもりじゃない。ただ・・・・・・

「あぁ、そういや今度の祭り、行くのか?」
なんだか気まずくなって他の話題を振ろうとしたのだが
「あ、ごめん」
と、あっさり断られた。むしろ悪化する一方な予感だ。
「まぁ書き入れ時だからな。ボロ店でも」
「それなんだけどね・・・・・・」
申し訳なさそうな口ぶりと上目遣いでこっちに擦り寄ってきた。(正直キモイ。というか、似合わない)

*****************************

「はぁ?」
「ね?いいアイデアでしょ?」
「アホ言ってんじゃねぇよ」

夏のラーメン屋といえば、冷やし中華。それはわかる。
「冷やし中華始めました」とかありきたりすぎてベタベタだもんな。それはわかる
だからって

「どうして夜店で冷やし中華売るんだよ」
「そう。そう思うでしょう?」
この女が何を考えているのか良くわからないのは今に始まった事ではないが、
本当に何を考えてるんだ。
「ラーメン屋だからってのはわかる。だがわざわざ店があるのに屋台を出す必要性はあるのか?」
せめてかき氷とか、やきそばとか、たこ焼きとかの方が売れるんじゃないか?
「そこよ、そこなのよ」
大袈裟に人差し指を突きたてて、俺の眉間の少し手前まで指さした。
「屋台で冷やし中華なんて前代未聞でしょう。珍しいでしょう。何だ何だって思うでしょう」
「まぁな」と、だいぶめんどくさそうに言うが、全くナンゴクは気に留めない様子で
「そしたらちょっと買ってみようかっていう気にもなるでしょう」
「ならねぇよ、バカ」
「なれよ、バカ」
「そんな事言ったってもう出店の許可は出てるもの。もう後はなるがままよ」
そうやって俺を置いて行くんだな。

「だからさ、そん時は来てよ」
「行かねぇ」
言い放って立ち上がった
「なんで?いいじゃん、ちょっと顔見せてくれるだけでいいからさ」
「来週雨降るってよ」
「は?」
「天気予報みてねぇの?来週の祭りの日、雨降るってよ」
これから久々のデートとめかしこんで来たが、もう帰ろうか。
「予報は予報でしょ」
「何のための予報だと思ってんだよ」
「それでも外れることだってある」

「降る」

「降らない」

「降るって」

「降らないってば」

俺と彼女の不毛なやり取り。
意味も無い会話。
「じゃあ賭けようよ」
自信満々な声。
「は?」
無気力な俺

「来週の花火大会。花火があがらなかったら野々宮の勝ち。
 花火があがったらアタシの勝ち」

「賭けって言うからには何かを賭けるんだろ?」
「もちろん」
不敵な笑顔
どうして胸の奥がむかついてくるんだろう。何かが燃え始めるように、ぐらぐらとしてくる。
ナンゴクの事は嫌いじゃないのに。
恋人なのに。
「アタシが勝ったら次の日のお祭りも手伝ってもらおうかしら。タダ働きで」
「わかった。なら俺が勝ったら」

俺は少しだけ言うのを戸惑った。本当にこれでいいのか?祭りの日は確実に雨が降る。

俺の望みは叶う。だけれど
「なによ、早く言ってよ」


「別れよう」


そんな湿気を帯びた言葉は似つかわしくないほど空は爽やかに晴れていた。
空気はどことなく暑苦しくまとわりついてきたけれど、夏らしい平穏な陽気だった。
だけれど世界は一瞬だけ沈黙し、木々のざわめきだけが大きくかすかに聞えるのみ。

「は?」
「俺と別れろ」
「あんた自分で何言ってるかわかってる?」
「お前と別れるってことだ」
「祭りの日は雨が降らないんだろう。そう思うならいいじゃないか」

少し意地悪が過ぎたかもしれない。ナンゴクはいつにない曇った表情で首を引くようにして俯いている。

「だからな。別に賭けなくたっていいじゃねぇか」
信じたものには必ず裏切られる。ならば最初からしんじなければいい。なんと簡単なことだろうか。
「いいよ」
「?」
それはどれに対する「いい」なのだろうか。
軽く訊こうとするが、ものすごい気迫に圧されてしまった。
「わかった。その時はわかれよう」
「お前本気か?」

たかだかくだらない賭け事にそんなものを賭けることを承諾するなんて。
はたと気付く。まさかそんなことはなかろうと思うが

「お前、俺の事嫌いか?」
「バカね、そんなわけないじゃないの。好きよ」
じゃあなんで、

まるでくだらない質問に答えるような表情を浮かべ、おもむろに、頭に巻いていたバンダナをするりと取った。

夏の強い陽射しを浴びて煌く艶やかな黒髪がまぶしい。
「人生にゃ、どんなに大切なものをかけてでもやらなきゃなんない時ってのはあるのよ」

「十中八九負ける勝負でも?」
「十中八九勝つ時でも負ける事はある。ギャンブルなんてそんなもんでしょ?」

言い終わるや否や「じゃあ、そゆことで」とこちらの言葉を訊くこともせずに踵を返した。

世界はまた止まってしまった。おまけに木々のざわめきも聞えず、こんなにも鮮やかな色に溢れているのに、白い世界に変わっていた。。
ただじとじととした空気を浴びて、雫の代わりに汗がすっと流れた。


「茶室
作品一覧に戻る