ハナミチ 16





 三月の風が吹き抜ける駅のホームは人の影がまばらだった。
 ベンチに腰を下ろすと、田宮が自分の通学カバンからキャンディーを二つ取り出し、一つを花枝に渡した。包みを破って口に入れる。
「今日こそは先生にお土産買って行こうね。この前も手ぶらで今回も手ぶらじゃ悪いもん」
「あっちに売ってるかな」
 先生が今住んでいる場所はこの私鉄を使わないと行けない。本数もJRに比べれば少ないし、学校からも離れたところにあるので普段は利用する機会は無い。
「しかし先生もさ、あんな辺鄙なところじゃなくてもっと便利なところにすりゃよかったのにな」
「行く側としては不便だね。……でもそっちの方が先生っぽい」
「言えてる。先生って便利なものが似合わないかもしんない。携帯とかーパソコンとかー車とか」
 良く言えばナチュラル。悪く言えば田舎者。
「生まれてくる時代を間違えたのかもね」
 田宮の口の中からキャンディーの欠ける音がした。
「この時代に適応できないって? それならあたし達だって同じだろ」
「先生は何も無い時代だったら大丈夫。寺子屋とかやっちゃったりさ。でも私達は」
 がり、がり、かり、が、がり
「いつの時代だって適応なんか出来なかったと思うよ」

 花枝は舌で飴を弄ぶ。右に左に右に左に。
 だけれどいっそ噛み砕いてしまおうか。なんとなくそんな気分になった。
「でもさでもさ、私達は北風と太陽! 二人ワンセットならなんとかなるかもね。今までだって、そうしてきたんだし」
「まぁな。その絶妙コンビも卒業なわけだけど」



「花枝ちゃん」
「ん」
「人がせっかく盛り上げようとしてるのにさ」
 理路整然とした声色のアナウンスが二人の会話を遮る。程なくして電車が減速しながらホームに入って止まり、その口を開けた。
「行きますか」
「行きましょう」


「二年の時は北風と太陽と、それから旅人も居たのにね」
 車両のちょうど真ん中の席に座り、少し息をつくと田宮は何気なく言った。
「文化祭の時憶えてる? 先生と三人で回ったよね」
「ああ」
「北風と太陽の看板も褒めてくれたし。あれ、結構注目浴びてたんだってね」
「みたいだな」
「不参加クラスだったからきっとあんまり楽しめないだろうなって思ってたんだけど、楽しかったよね」
「ああ、田宮は馬鹿みたいにはしゃぐし」
「一年生の発表すごかったよね。ほら、体育館でやってたやつ。あれ結構準備大変だったろうなあ」
「うん」
「でもあの年の演劇部の公演はおもしろくなかった。なんかさ、あやふやに終わらせるのが格好いいみたいに思ってるのかな。何がやりたかったのか伝わってこないっていうか」
「そうだっけ」
「そうそう。あとあれ憶えてる? キグルミの首取れちゃってーってやつ」
 田宮はどんどんと早口になっていた。それは確かに田宮と花枝の人生のうちで最も楽しく最も足早に過ぎ去った期間だったように思う。

 花枝は後夜祭の事を思い出していた。



 校門にかけられた看板がゆっくりと降ろされていく。制作期間二週間。昼休みと放課後をフルに使い完成させた。その看板に隠された様々なエピソードを訪問者は知らない。

「終わっちゃったね」
「ゲームオーバーみたいに言うなよ」
 校舎の窓から昼間とは違う慌しさが駆けめぐっているのが見えた。しかし生徒のほとんどはまだ浮ついているようで「食後のデザートがある」みたいな顔をしている。
「まだ後夜祭があるだろ」
「そうだけど文化祭はほとんど終わっちゃったじゃん。あぁいうわたわた準備する期間って好きだったんだけどなあ」
「だから看板作ろうと思った?」
 田宮は少し考えるかのように目線を泳がせ、そうかも。と一言言った。
 体を前にかがめて田宮の顔を覗き込むと、苦笑しながら花枝の顔を押しやった。
「何もしないのが嫌なの。無気力で自堕落でめんどくさいーって言うのが。うずうずしてむかむかする」
 だから最初は花枝ちゃんの事も嫌いだった。
「何もかもがどうでもいいみたいな顔して澄ましちゃってさ。ああ、もったいないって思った。まだ若いのに何を諦観しちゃってんだろってさ」
 花枝はなんだか自分のアルバムを開いているような気持ちになった。ほんの少し前の事なのにその思い出は遥かに色褪せ、触れたらぽろぽろと崩れ落ちてしまいそうだ。
 いや、花枝としてはそれを願っているのかもしれない。
 崩れて地に落ち、そこにまた新しい花が咲いたら。
「うん。まぁな」
「あ、先生だ」
 複雑な心境の花枝をよそに田宮は立ち上がって伸びをするように手を振った。その先に地味な服装の先生が脇を引いて小さく手をあげ、歩いてくるのが見えた。
「やあ、お待たせ。後夜祭までまだ時間があるけれど、どうする?」
「後夜祭が始まるのって七時からだよな。夕飯食っておかないと」
「あ、それなんだけどね」
 田宮がカバンから箱を取り出した。
「サンドウィッチ。作ってきました」
「おお、準備がいいですね」
「またサンドウィッチかよ」
「文句あるなら食べなくても良いですー」
「もらいますもらいます」

 サンドウィッチをかじる三人。傍から見たら確実に親子だ、などと考えていると花枝の頭の中でピンと来た。
 ああ、そうか。田宮の暮凪に対する慕いっぷりは、どことなく父親に向けるものに似てはいないか。
 いや、普通の娘はそんな事しないが。
 田宮はきっとファザコンに違いない。などと思いながら野菜サンドを食む。
 嫌悪することなく、それもまた人生と受け入れてしまった。


 後夜祭では女子クラスと男子クラスの学校公認交流会や軽音楽部のライブ、有志によるステージ等様々な催し物があったが花枝たちはどれにも興味が無く、参加する気ははなから無かった。
 盛り上がる祭りを遠巻きから眺めながらぽつりぽつりと他愛のない語り合いを交わし、笑いあった。

 祭りに参加すればまた何か新たな物語が始まるかもしれない。他の誰かの物語も始まっているだろう。
 けれど三人ともそんな事は望んでいなかった。
 『隠居』に近いだろうか。舞台袖で幕間の茶番にことことと笑いながら徒に時を消費する。
 三人のピースがうまくはまったような感じがした。大好きと言えるほどは時を重ねていない。けれど嫌いではない。
 そんなぬるま湯よりも少し熱めの温度が三人をぴったりと隙間無く近づけた。

『それでは恒例の大・花火大会――――!
 会場から大きな歓声が沸きあがった。
「あ、花火」
「花火なんてあったっけ?」
「毎年やってますよ」
「へぇ」
「花枝ちゃん何で二年生なのに知らないの?」
「去年は文化祭サボった」
「……花枝ちゃん」
 打ち上げのカウントダウンがスピーカーから洩れると、いきなり田宮が花枝の手を握り締めた。
「何?」
 田宮はもう一方の手で先生の手を握り
「ねぇ、こんな伝説知ってる?」
 と言いながら笑って天を仰いだ。
「この花火が全部打ちあがり終わるまで手を繋いでいると」  光の筋がしゅっと昇るのが見え、花が開き、散る。破裂音が響き渡った。
 その花の儚い一生を表現したような花火が二発三発と続いていく。

 田宮の顔は様々な色の光に彩られていた。
「来年もまた一緒に見られるんだって!」
 気の抜けた甲高い音の後に光り、破裂音が連続していく。生徒達のざわめきがいっそう大きくなる。夜に響き夜を貫く花火が打たれる。  三人は手を繋ぎながらそれらを眺めていた。

 花火はいつまで続くのだろう。きっとすぐ終わってしまうに違いない。月日があっという間に過ぎていくように。
 花枝は田宮とのつながりをぎゅっと握り締めた。
「もう終わったと思ったらまた打ち上がるの。だから花火が止んでも手え離しちゃだめだよ」
「うん」
 しばしの静寂の後、これまでよりも大きな花火が打ち上がった。


「終わり、か。つまんないの」

 田宮がそっと手を離した。
「来年もまた見られるだろ」
「……そうだね」

 先生はまだ空を見上げていた。
「先生も。また来年も一緒に見ましょう」
「……うん。そうですね」
 そんな何でもない田宮と先生のやり取りだったが、花枝には少しだけ先生の様子がおかしいように見えた。祭りの終わりに寂しさを覚えているのだろうか。いや、と言うよりも

「さぁ、後夜祭も終わりです。もうすっかり暗いですから気を付けて帰ってくださいね」
「はーい」
「……」

「汐見くん」
「はい?」
「ありがとう」
 先生は笑った。しかしその笑い方が以前とは違う事に花枝は気付いていた。気に障るような翁の能面ではなく、筋肉の運動が作る笑顔だった。
「感謝される憶えはありませんけど」
「いいえ。君は感謝されるに値する事をしてくれました」
「それはこっちの台詞です。あたしだけの力だったら何も出来ませんでした。一人じゃ何も出来なかった」
「そうだね。自分ひとりで抱え込む必要なんて無い。人は一人でも生きていけるけれど、二人ならもう少し楽しく生きていけるさ」
 何故かはわからない。ただこの時直感的に頭の中で巨大な鐘が響いてしまった。
 彼はきっと私達から離れていく。関わりを絶とうとしている?
「先生?」
「二人ともー。何わけわかんない事で盛り上がってんの?」
 田宮が花枝の背後から抱き着き、肩に顎を乗せた。
「ごめんごめん。大した事じゃないんだ」
「私も入れてよー」
 先生は何をしようとしているのだろう。その微笑の裏にあるものまでは読み取ることが出来なかった。
 その後の二学期は花火のように過ぎていった。









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*おまけ*
 本編とはあんまり関係ありません。
「田宮」
 がりがりがりがりがりがりがりがり
「田宮」
 がりがりがりがりがりがりがりがり
「田宮」
「何?」
 がりがり
「頼むから飴を噛むのやめてくれ」
 がりがりがりがり
「何で?」
 がりがり
「耳障り」
 がりがりがりがり
「そうかな?」
 がりがりがりがりがり
「第一飴はなめるものって相場が決まってんだよ」
 がりがりがりがり
「そんなの誰が決めたの?」
 がりがりがりがりがりがっ
「どう考えてもそうだよ。『飴を』の後に続く動詞は? って訊かれたら普通『なめる』って答えるだろ?」
「私は『砕く」って答えるよ! 別にいいじゃん。噛んだって。それくらいの自由は私にも与えてよ」
「……でもとりあえず耳障りだからやめてくれ」
「うー。わかったよ」



 がりがりがりがりがり


「なめてんのかコラ」
「噛み砕いちゃったものはもうどうしようも……!」



「あ」←ギャグを言うつもりはなかった
「あ」←ギャグだと気付かなかった










独り言:文化祭最中のエピソードはいずれ書きたいと思ってます。