ハナミチ 17




「花枝ちゃん美大に行くんだよね」
「そう」
「入試でデッサンとかやるの?」
「デッサンと油絵と国語と英語」
「学科試験もあるんだ」
「うん」
 時々田宮の姿を見ながら花枝は左手を動かし続ける。素描に集中している所為で反応が疎かになってしまうのは申し訳ないとは思ったがどうしようもない。
 花枝は先日の調査票で美大に進学する旨を書いて提出した。入試対策とリハビリを兼ねて田宮をモデルにさせてもらう事にして、今に至る
 目に焼き付けた田宮の姿を紙の上に描き出す。曲線が形を浮かび上がらせ、光を影を作り出す。
 田宮の小さなパーツを一つ一つ拾い集めて組み立てている感覚だ。
「…………」
「…………」
 先生の住処である「国語科準備室」で二人は沈黙のまま向き合っていた。
「何かさ、モデルってのもすごい恥ずかしいもんだね。私こういうの初めてで……」
「…………」
「花枝ちゃん?」
 本当はすごく黙っていて欲しかったが、確かにただ座っているだけの田宮としては恥ずかしいのとつまらないのとで何かを話したいのだろう。
「田宮の方こそどうすんの? あんたのそういう話聞いたこと無いな」
「私? うん。大体は決まってるんだけどね」
「ふーん」


「私AO受けようと思ってるんだ」
「AO?」
 花枝は思わず手を止めて顔を上げた。二人の通う高校は近隣でも有数の進学校で、センター試験の出願率はほぼ百パーセント。
 そんな中でAOという学科試験を行わない入試を選ぶということは非常に稀だ。と言うよりも存在しない。
「何でまた急に」
「ほら。私そんなに頭良くないってのもあるし。どっちかって言うと小論文とかの方が得意だから」
「ふーん」
「……うん」
「まぁ、美大受験希望者がどうこう言える立場じゃないか」
 どうも田宮が本音で言っているとは思えなかった(悲しい事に田宮の成績があまり良くないというのは事実だった)が、特に言及するべき点でもないと思ったのでそれ以上の追求はあきらめた。
「そうだね」
「結局あたしらは"はみだしもん"ってことか」
「はみだしもんも二人揃えば新しいカテゴリーじゃない?」
 新しいカテゴリーねぇ。
 花枝はまた左手を滑らせはじめる。滑らかに軽やかに早く速く。
 新しいカテゴリー。その言葉がなんとなく嬉しかった。

 はみ出さなかった人々はそれをただの負け惜しみと言うかもしれない。だがそんなものは笑い飛ばしてしまおう。
 田宮と花枝ならば「1+1」は2どころの騒ぎではないのだから。

 細々とストーブの焚かれたこの部屋に居ると気が付かなかったけれど、窓の外で枯れ葉を揺らす風は冷たそうだった。
 そういえば今年は例年よりも寒くなるとニュースで言っていたっけ。
 今年の花枝はそんな風には感じていなかった。それもそのはず太陽がこんなに近くにあるのならばきっと心も温まるだろう。
「花枝ちゃん、ところでこのバイト代はいくらぐらい出るの?」
「そうだな。ジュース一本ぐらいならいいけど」
「安」
「つめたーいやつ」
「寒!」

 絵の中では随分神妙な面持ちをしているのに、目の前に居る田宮は笑えるほどに滑稽な顔をしていた。
「何で笑ってんの」
 今からでも顔を描き変えるべきか。そんな事を考えていたらおかしくておかしくて腹筋まで痛くなってきた。
「寒く、なっていくな」
「だからあったかいもの食べようよ」
「そうだな。お前の奢りで」
「バイト代!」

 冬を迎えようとするその風に予感などあるものか。この冬が明ければ春は来るものだと信じていたのに。








 改札から一歩出ると緑色が飛び込んできた。この町は無駄なほどに緑が豊かで、若者にとっては不便でしかない町だった。でもだからこそ先生はこの町を選んだのだろう。
 何も見所の無い、不器用な町。そんな町で暮らしたいと思ったのだ。
「いつ来てもここは何にもないね。進歩が無いなぁ」
「変わらないって言ってやりなよ。そういや何か買うところってあった?」
「あったね。右にずーっと行ったところにファミマ」
「ファミマか。何か適当に買って行けばいいか」
 いつの間にやら田宮は駆け出して曲がり角のところで花枝を待った。
「昼飯どうしよっか。ファミマで買う?」
「サンドウィッチ作ってきた。だから何か飲み物だけ買おうよ」
「またか。お前はマメだなあ」
「嫌なら食べなくて良し!」
「いただきます」
 ただ一つ気になるのは、さっき田宮がカバンをぐるぐる振り回していたこと。
 あの中にサンドウィッチが入っているのだよな?

 先生はどんな食べ物よりも田宮が作ったサンドウィッチをおいしそうに食べる。確かに田宮のサンドウィッチはパンから作っているのでうまいしいくらでも食べられる。
 けれど先生が田宮のサンドウィッチを食べるときはなんとなく違う。少なくともおいしいから食べたいと思って食べているのではないように見えた。
 おいしそうに食べているのに、喜んでいるような悲しんでいるような感情を抱いているのではないか、花枝はいつもサンドウィッチを頬張りながらそんな目で暮凪を見ていた。
 ただの気のせいだといつも片付けていたけれど。

「早くー」
 気付けば田宮はずっと先に立っており、花枝をにらむようにして待っていた。

「おい待てよ」


「田宮!」


 国語科の準備室に入ると、部屋のちょうど真ん中に並べられた机のうちの一つに上体を預けていた。花枝の侵入に気付き、もそもそと顔を上げた。
「やっぱここか。授業サボって行く場所なんてここしかないもんな」
「どうしたの?」
 田宮の左頬には赤い筋が刻まれており、髪の毛は乱れていた。一限目が終わってからずっと不貞寝でもしていたのだろう。
 田宮は一限目の終わりに教室を出たきり、四限目が始まっても帰って来なかった。
「心配だから見に来たんだよ」
「心配? どうして?」
「だってお前がサボるなんて滅多にないじゃん」
 少しその言葉を巡らせて、「そっか」とだけ言うと再び顔を机に摺り寄せた。
 呆れたまま机の方に足を進ませ乱暴に椅子を引いて腰を下ろした。田宮は何をむくれているのだろう。思い当たる節がないわけではないが、最近の田宮の塞ぎ様は普通とは言えない。
「逆ボイコットなの」
「は?」
「柳瀬川さん達が先生の授業をボイコットするなら私は先生以外の授業は出ないの」
「あぁ……」
 そういうことか。
 最近の先生の授業はますます酷い。その賑わいは休み時間より少し静かなくらいで、彼の授業を欲している生徒は田宮と花枝以外誰も居なかった。
 確かに彼の教え方は非効率で分かりにくく頭の中に浸透しづらい。だけれど聞かなくて良いと言う事はありえないはずだ。
 分かってはいても、クラスのほとんどは予備校やらなんやらに通っていた。学校の授業を受けなくても受験勉強は出来る、と言いたいのだろう。
 以前は彼女らを注意する事の出来ない先生に対して腹立たしく思っていたが、彼の胸のうちを知ってしまった今はそんな感情を抱くこともできず、遣り切れない思いでいっぱいだ。
 「汐見くん。僕はね、――――」

「くだらない」
 そう言ったのは田宮本人だった。
「私もあいつらのやってることもくだらない」
「…………なら戻ればいいじゃん」
「花枝ちゃん知ってた?」

 顔を伏せたまま普段からは想像も付かないほど弱く低い声色で
「先生、辞めちゃうんだって」
 と一言囁いた。








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*おまけ*
「先生に何買って行こうか」
「先生の好物がいいね」

「先生の好物ってなんだったかなぁ。お前知ってる?」
「鯛のお刺身」
「買えないなあ」
「ビール」
「買えないなぁ」←未成年
「里芋の煮物」
「買えないなぁ」(多分)
「将棋」
「食えないなぁ」
「琥珀」
「食えないなあ」
「茜丸五色どらやき」
「知らないなぁ」



「桜餅」
「それにするか……ってさっきのもしかして鉱物?
「……花枝ちゃん遅い」